森の人

朝の食卓に執筆「追跡」

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3月 132010
 

北海道新聞朝刊のコラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

雪の上に残されたエゾリスの足跡を追跡(アニマルトラッキング)した話です。


「追跡」 有明 正之

森の楽しみの一つにアニマルトラッキングがある。雪の上に残された動物の足跡を観察し、追いかけるのだ。

春先の固く締まった雪の上に、うっすらと新雪が積もった朝は絶好のチャンスだ。森の中に入り、残された動物の足跡の中からその日の対象を選び追跡を開始する。

今回の相手はエゾリス。ウサギに似た足跡だがずっと小振りで、後足の直後に小さな前足の跡が横並びにある。逆台形に並んだ足跡は特徴的で、見分けがつけやすい。

足跡をたどり、カラマツの植林地に入ると、一面エゾリスの足跡だらけだった。その中から特定の足跡を見分けるのは大変だ。エゾリスは木に登り、隣の木に飛び移って移動したりするから、目的の足跡を見失わずに追いかけるのは至難の業である。

それでも目が慣れ、目指す相手の足跡の特徴が見分けられるようになってくると、一匹のエゾリスが森の中を飛び回っている様子が想像できるようになり楽しい。

追跡は森のはずれに立つエゾマツの大木の所で突然終わった。この木からいくつもの足跡が放射状に出入りしている。どうやら私の追いかけていたエゾリス君はこの大木を住まいにしているようだ。

一度も会ったことが無いのに、もうすっかり顔なじみになった気がする小さな友に別れを告げ、帰路についた。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓「火のある暮らし」を執筆

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2月 052010
 

北海道新聞朝刊のコラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

薪ストーブを使って感じたことを綴っています。


「火のある暮らし」 有明 正之

我が家の暖房は薪ストーブだ。森の暮らしを思い立った時、燃料は薪を使おうと考えた。再生可能なエネルギー源であり、正しく使えばローインパクトな生活が出来ると思ったからだ。

薪の良さは環境への優しさだけではない。パチパチと木のはぜる音や炎のゆらぎは人間の五感にも優しく、火力が強くてもまろやかな暖かさはポカポカと心地よい。

人類の祖先は、火を手に入れコントロールすることで、闇の恐怖から解放され文明を発達させたと言う。薪ストーブに限らず、たき火やローソクの炎が心地よいのは、そんな太古の記憶が呼び覚まされる為かもしれない。

ストーブの中とはいえ家の中で薪が盛大に燃えているのだから、安全には細心の注意が必要だ。そのうえ、着火してから暖かくなるまで時間がかかり温度の微妙な調整は効かない等、今時の暖房器具に比べると原始的で不便な道具である。

科学技術が発達し、オール電化や電磁調理器の普及によって日々の暮らしの中から「火」が消えつつある。安全で利便性の高い「新しいエネルギー」が、使い方によっては危険な「火」に取って代わるのは、当たり前のことである。

けれど火のない暮らしは、私にとってひどく味気ない世界に違いない。多少不便で手間がかかっても薪ストーブを使い続けようと思っている。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓に「森の隣人たち」を執筆

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11月 272009
 

北海道新聞朝刊の連載コラム「朝の食卓」掲載

森の中で出会って一番ビックリする動物とは?

パイオニアラボの阿寒の森に住む動物たちの話です。


「森の隣人たち」 有明 正之

私の住む釧路市の阿寒の森の家は、隣家から1・5キロほど離れている。

道路のどん詰まりにあるため、わが家への来訪者以外に人間を見かける事はほとんどない。半面、野生動物は日常的に見ることができる。

エゾシカは、毎日家の周りで草を食べている。野生の生き物には干渉しないように心がけているのだが、朝起きて外に出た時に目が合ってしまった時だけは、「おはよう」と声をかけている。

キタキツネも頻繁に見かける。子育て時期には、子ギツネの待つ巣穴に食べ物を運ぶ親ギツネの姿を見ることができる。

他にも、森にはエゾリス、シマリス、ウサギなど、さまざまな動物がすんでいる。屋根の上で音がするので、木の枝でも落ちたかなと思ったら、実はモモンガだったということもあった。

わが家の「隣人」は森の動物たちなのである。

こんな環境だから、森の中を散策している時に動物と遭遇しても、驚くことはない。

ところが、1度だけ森で生き物に出会って、本当に驚かされたことがある。キノコ採りの人が木立の間から突然出てきた時だ。

人里離れた森の中で驚いてしまう場面とは、一番いそうもない生き物と出くわした時なのだ。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓に「役に立たぬ知識」を執筆しました

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10月 132009
 

北海道新聞朝刊のコラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

一頭のエゾシカが生きて行くのに必要な面積は?

役に立たない知識について書きました。


「役に立たぬ知識」 有明 正之

ご近所さんと世間話をしている時、面白いことを聞いた。

「大昔に聞いた話だから真偽のほどは分からないが」と前置きをして、その人は「エゾシカ1頭が生涯生きていくためには、約50ヘクタールもの山野が要るのだそうだ」。

シカ一頭が生きていける広さなど、知ったところで、一般の人の社会生活には何の役にも立たない。ましてや本人が言うように根拠さえも、よく分からない。

しかし、私はとても興味深く感じ、こんなことを考えた。仮にシカ1頭で50ヘクタールなら、人間が一生暮らしていくには、一体どれだけの土地が必要なのだろうか?

食べ物やエネルギーの供給に必要な面積は? はたまた排出した二酸化炭素の吸収に必要な森林は? そう考えると、かなりの面積が要りそ うだ。では、限りある地球という空間で人類が生きていくには、どんな暮らし方をしていくべきなのだろうか。想像は果てしなく広がっていく。

学校や職場では普段、実際に役に立つ知識を身につけようと、みな一生懸命である。だが、時には実生活に役に立ちそうもない知識に思いをはせ、空想をふくらませるのも悪くない。

普通では思いもつかないアイデアや考え方は、そんなところから生まれるのかもしれない。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓に「理想の暮らし」を執筆

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9月 112009
 

北海道新聞の連載コラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

私の考える「理想の暮らし」について書きました。


「理想の暮らし」 有明 正之

道内に移住して来た時、夢に描いた理想の暮らしがある。

森に囲まれた自然豊かな土地に住み、天気の良い日は、まき割りや畑仕事で汗を流し、雨の日は家の中でコンピューターを使って仕事をする。

インターネット時代ならではの「晴耕雨読」的生活だ。そんなライフスタイルを目指し、一歩ずつ進んで来たが、思わぬ落とし穴があった。

世間はブロードバンドの時代に突入したが、私が住む釧路市阿寒町の森のネット環境は、いつまでも低速回線のままだったからだ。都会に住んでいた時には考えもしなかった「地域格差」という言葉が身にしみた。

仕事にならないので、ここ数年は釧路市街に借りた事務所で仕事をしていた。確かに便利だが、ほとんどの時間を街で過ごすことは、夢に描いた暮らしとは、かけ離れたものだった。

昨年冬、阿寒の森にも、ようやく非対称デジタル加入者線(ADSL)回線がやって来た。試しに使ってみると何とか仕事に使えそうなので、先日、思い切って仕事場を阿寒の自宅に移転した。

人里離れた生活は不便なことも多いが、私にとって樹木に囲まれて過ごす時間は、何物にも代えがたい。ちょっと遠回りになったが、これでまた理想の暮らしに近づくことができそうだ。

(パイオニアラボ代表)・釧路

北海道新聞朝刊のコラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

朝の食卓に「不純な動機」を執筆

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7月 272009
 

北海道新聞の連載コラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

パイオニアラボの業務一つであるCAD講習をはじめることになったきっかけについて書きました。


「不純な動機」 有明 正之

釧路市にある道立釧路高等技術専門学院の職業訓練セミナーで、不定期ながらコンピューターを使った建設計「CAD」の講師をしている。

厳しい雇用情勢の中、こうした講習に通う人は多いし、その意義は大きいが、訓練を受けたからといって、簡単には就職先が見つからないのも現実だ。それでも、たまに受講者が「CADで生計を立てるようになった」という話を聞くと、とてもうれしい。

私自身、道内に移住した当初、訓練生として、この学院に通っていた。

職業訓練として建築を学ぶというのは建前だった。今だから言える話だが、実は自分の家を建てるために大工の技術を身につけることが目的だった。

一年間の学院生活は、しっかりと私に建築技術を身につけさせてくれた。おかげで、今住んでいるのは、粗末ながらも自分の手で建てた家だ。その後、建築関係の自営業を始め、さらに講師までするようになった。

いささか不純な動機で通った学院だったが、あの訓練生活は今の私の暮らしの大きな支えになり、その時、受けた恩恵をわずかではあるが、社会にも還元できるようになった。結果的には学院本来の目的にかなったことになるのではないか。

当時の先生たちも、きっと大目に見てくれると思っている。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓に「名匠の振動」を執筆しました

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6月 132009
 

北海道新聞の連載コラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

ストラディヴァリウス・サミットコンサートを聞きに行ったときの感想です。


「名匠の振動」 有明 正之

先日、釧路市内で開かれた「ストラディヴァリウス・サミットコンサート」に出かけた。

17世紀から18世紀にかけて活躍したイタリアの弦楽器製作者アントニオ・ストラディバリが作ったバイオリンなど11台がそろう数少ない機会ということで、是非聞いておきたかった。無粋だが、総額90億円相当というキャッチコピーにひかれたのも本音である。

演奏するのはベルリンフィルのメンバーなど。普段はクラシックの演奏会に行くと、ついウトウトすることも多いのだが、今回は違った。

「ストラディバリウス」と称される彼の名器の響きで満たされると、あまりの音の美しさに眠気は消えうせた。会場の空気の振動そのものが心地よかった。耳で聞くだけではもったいと、シャツの袖をまくり、口も少し開き、肌や体内でその響きを直接味わった。

音楽とは、自然界に存在するある種の振動を切り取って、再構築することだと思う。元をただせば物理的な運動にすぎない空気の振動だが、名工は楽器自体に魔法のように美しさや情感を吹き込み、それを名奏者が巧みに解き放ち、聴衆に届けてくれるのだろう。

美しい振動に大自然の神々しさを感じ、名匠たちの技に人間の無限の可能性を知らされた至福のひとときだった。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓に「名人の眼力」を執筆しました

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5月 022009
 

北海道新聞の連載コラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

山菜名人の話を書きました。名人の眼力を養いたいものです。


「名人の眼力」 有明 正之

山菜採りの季節になってきた。

私の住んでいる釧路市阿寒町の山間部には山菜採りの「名人」が大勢いる。

本州から引っ越して来たばかりのころ、名人の一人に山菜採りに連れて行ってもらったことがある。一緒に山道を歩いていると名人が言う。

「ほら、あそこにいいワラビがたくさん生えているぞ」。指さした方を見ても、私にはただ草が生い茂っているようにしか見えない。

近くに寄ってみると、確かに立派なワラビが生えている。同じ景色を見ているはずなのに、名人の目には映り、私には見えないのだ。

聞くと、雑多な草の中で目指す山菜だけが、「自然に眼に入ってくる」のだと言う。名人の眼力恐るべし、である。

あれから数年、毎年山菜を探し続けるうちに、私もすこしずつ、目指す山菜が見えるようになってきた。もちろん、まだまだ名人の眼力には及びもつかないが。

先行きが不安な今の時代、人生の目標が見えないと言う人は多い。けれど、きっとそれは目の前にあるのだ。私たちの眼に映っていないだけだ。

探し続けていれば、必ず見えてくる。いつの間にか私にも山菜が見つけられるようになったように、人生の眼力というものがあるはずだ。そう信じている。

(パイオニアラボ代表)・釧路

朝の食卓に「不便な暮らし」を執筆しました

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3月 262009
 

北海道新聞の連載コラム「朝の食卓」に記事を執筆しました。

田舎暮らしは楽しいけれども不便なもの。

便利ばかり追求していては何か大切なものを見失いそうな気がします。


「不便な暮らし」 有明 正之

釧路市阿寒町のはずれにある自宅に帰ると、水道が凍結していた。「水落とし」を忘れていたのではなく、逆に水道の蛇口を閉めてしまったことが原因だった。

わが家の水は森の中のわき水を引いている。ホースは地面をはわせているだけだ。冬は蛇口を開けっぱなしにしている。流し続けてないと、ホースの水は、あっという間に凍ってしまうからだ。

それが凍ってしまった。一度凍ると、そのホースは春まで使えない。水を使うには、水源まで百㍍以上の距離を予備のホースを自分で引き直さなければならない。なかなか不便な生活である。

また、これから雪解けが進むと、わが家につながる道路はぬかるんで通行不能になる。自動車を家の五百㍍手前に止め、そこから歩く生活が一カ月半ほど続く、これまた今どきあまり無い暮らしと言える。

かように自然の中の暮らしというのは不便なものだ。だが、決して不快ではない。むしろその不便さを自分のアイデアと工夫で解決していくことが楽しい。便利だが、素人の手では修理もままならない電化製品にばかり囲まれた最近の生活では、味わえない楽しさだ。

手入れして修理を重ねるごとに愛着が深まるレトロな道具のように、私たちの手作りの生活は年を経るにつれ、味わいを増す。

(パイオニアラボ代表)・釧路